大陸西部の街道沿いの宿場に、二頭立ての馬車が止められていた。
御者をしていた禿頭の男が、金髪の娘をはべらせて手近な宿に入った。その間、御者席には防塵衣の人物が座り、その横には先ほどの娘に良く似た金髪の娘が頬杖をついていた。
「姉さん、大丈夫かしら?」
ただの宿探しと買い物だ。何も問題は無いだろう。なのに金髪の妹は心配そうに宿の入り口を見ていた。厩があり、それなりに小奇麗、個室が好ましい。以上が彼らの宿探しの条件だった。
貴重品が多いわけではないが、彼らは一般的な旅人にしては小金持ちだ。さらには一行の半分以上が妙齢の女性であり、大部屋を使うのは躊躇われた。旅に向かない服装の姉妹の着替えと、着替えの場所が必要であり、そして疲弊しきった彼女らを休ませる必要もあった。
スイングドアを開けて出てくる二人。首を振る禿頭の男。宿場には大小さまざまな宿が並んでいる。その数は両手で数え切れないほどだ。条件にあった宿もあるだろう。それを根気よく探す必要があった。
「あ、私もッ」
飛び出そうとし、飛び出した妹は痛めた足に走った激痛に眉をしかめた。
「ドレイクは紳士だ。ルーシィに不埒な真似はしないさ」
馬車の幌から顔を出した子供が、大人びた口調で嗜めた。砂漠の民の衣装。胸元で瞳のお守りが揺れている。
「それよりもユフィ、そろそろ客引きが来るぞ」
彼の言うとおり、何人もの男たちが彼らの様子を遠巻きに伺っていた。二頭立ての幌つき馬車。御者席に座るのは綺麗な服の女性。上客だと思われてもしょうがない。
「宿はお決まりですか?」
「連れが探してますわ」
つんと応えるユフィ。
「それまでここでは退屈でしょう。わたくしの宿の一階は酒場になっております。荒くれの男よりも、お客様のような上品な方の集まりになっておりまして、日暮れには高名な吟遊詩人の歌もございます」
「結構」
少年の言葉に、客引きは一瞬目を向けたがユフィに目線を戻す。子供の話など聞く気は無い。
「おい」
禿頭の男ドレイクのドスの利いた声。客引きが仰天する。
「宿が決まったぞ」
親指で示すドレイクの後ろでは、頬を染めたルーシィが彼の裾を掴んでおり、ユフィはきりきりと眉を上げた。
翌日。郊外に建てられた石造りの塔を、古着に着替えた姉妹と、防塵衣の人物が登っていた。
塔の内壁の階段は古いが頑丈なつくりで、危なげが無かった。千年以上昔の建物だと、宿の従業員は語っていたが、それにしては風化していない。
「ドラ娘さん。怖くないんですか?」
ルーシィの問いに、先頭を歩いていた防塵衣の娘は振り返る。中空は吹き抜けで、塔の高さは二十メートル以上。現在三人のいるのは中ほどだった。塔の壁にはいくつもの明かり取りがあり、多少暗いが不便なほどではなかった。しかしそのせいで、高さが実感できるのは困りものだ。
「宿の人が言っていたとおり、魔法で保護されてるなら安全だよ」
ここは、この宿場の数少ない観光地だという話だった。千年前の戦争で作られた見張り塔であったが、当時の記録は無く、どのような状況で使われたかは分からなかった。
塔そのものが魔法で守られており、最上階にはいまだに二種類の魔法器具があるという。
他のものは取り去られてしまったが、その二つは大きすぎるために取り出せなかったのだという。
「伝令用だったのかな?」
指定した方向に光を放つ大きな鏡と、大型の双眼鏡。それがこの塔に残った最後の魔法器具。
へとへとになりながら最上階に辿り着いた姉妹と違い、ドラ娘は元気な様子でそれらに近づいた。
本来は魔力結晶に貯蓄した魔力を動力とするはずのそれらだったが、すでに魔力結晶は取り外されており、ただのガラクタに成り下がっていた。
「・・・千年か」
感慨深く呟くユフィ。生まれて二十年も経っていない。家は二百年前から続く名家だと、母は言っていた。途方も無い遠い時間。想像もできない。
「ユフィ!」
姉の大声に、ユフィは身を縮めた。あの姉が何かを叫ぶなんて、そうあることではない。
「見て!」
双眼鏡を覗き込んでいたルーシーがユフィを引っ張り、双眼鏡に押し付ける。
「姉さん、もう見れないんじゃ・・・え?」
よく見えた。
遠い山々の木々の一本一本が見えた。こんなに高い視線は初めてで、しかも何もかもが詳細に見えた。街道を歩く馬車や商人も、その先の、無数の塔を重ねた建物も。
「・・・レインバック?」
それが、レインバック大図書館。
この大陸における魔法の大家。ドラ娘たちの旅の、最初の目的地。
なんともいえない胸騒ぎを覚え、ユフィは胸を押さえた。
魔法器具に魔力を供給していたドラ娘と、興奮したルーシィは、そんなユフィに気付かなかった。