大陸西部の宿場、その唯一の観光名所である古い見張り塔で、三人の女が夕飯を食べていた。
二人は、よく似た娘だった。編み上げた金髪に、青い瞳。着ている服こそ質素だが、滲み出る気品までは隠せない。可憐なスカート姿が妹のユフィ。ズボンをはいているため一種独特な雰囲気を持つのが姉のルーシィだ。
そして、娼婦のように肩も臍も二の腕も太ももも露出した、不健康に肌の白い娘が一人。名も無きドラ娘。
三人は持ち込んだバスケットの中の黒パンのサンドイッチを仲良く食べ、日が落ちるのを待っていた。南に見える魔法都市レインバックは夜を眠らず、この塔から色とりどりの明りが見えるのだと、宿の従業員は語っていた。
従業員は彼女らの連れである男たちにまずその噂を教え、次に彼女らに教えたと言っていた。
曰く「あの男は女心が分かっていない様子ですよ」。
なるほど、ロマンチックな光景なのだろう。
「・・・いまさらですけど、危なくは無いんですかね?」
小首を傾げるルーシィ。日が落ちた後の帰り道の心配だろう。
「壁に手を当てながら歩けば落ちる心配は無いと思うよ。明りもあるしね」
答えたドラ娘は、シャッターのついたランタンを掲げて見せた。小箱の中に揺れる小さな火は、いかにも頼りなさ気に見えた。
「それに、きっとドレイクが迎えにくるよ」
「えっ・・・」
微笑むドラ娘の口から出た名前に、ルーシィは頬を染めた。
「・・・姉さん」
姉を憮然と睨むのは、それまで黙っていたユフィ。
「もしかして姉さん、あの男のことを?」
それだけは許さない。言外にそう漂わせるユフィ。しかし、ルーシィはそんな妹の気配はまったく気付かず、指先を突付き合わせた。
「だって、ドレイクさん・・・優しいですし」
頬を染めながら語るルーシィ。ドラ娘は口笛を吹き、ユフィは目を三角にした。
「姉さんッ!」
「誤解しないでユフィ」
しかし、悲しげに笑う姉は、何かを悟った風であった。
「わかって・・・るから・・・」
姉妹の何か、他者が触れられない場所なのだろう。ドラ娘はそう自分を納得させ、小さく嘆息した。
「そろそろ日が暮れてきたから、明り消すよ」
ランタンのシャッターが下りると、周囲は真っ暗になった。今日の曇り空は、星の光まで奪っているのだ。
「・・・いやな空」
呟くユフィに、ドラ娘は苦笑した。
「でも、これなら安全だ」
エンリコと七人の仲間は、この宿場でも名の知れた悪たれだった。しかし、彼らは大人になり暴力からは足を洗った。そう、宿場では思われていた。
彼らはそれぞれの宿で堅実に下働きをしながら、まれに訪れる「獲物」を待っていた。「獲物」は彼らの副業の的であり、玩具であった。
エンリコと七人の仲間が、夜に集まって酒盛りをしていることは宿場中の誰もが知っていた。普段は真面目に働いているため、夜に仲間と飲みに行くと前もって約束しておけば、雇い主もまあ許してくれた。粗暴だったころの彼らに戻られてはかなわないと思っているのだろう。それでストレス発散になるならと許された。
事実。それは最高の発散方法だった。
彼らの飲み会は、誰かの宿に美しい女が泊まり、罠にかかったときに行われる。
古い見張り塔は、エンリコと七人の仲間の狩場であり、彼らは塔の内部の構造をしっかり理解していた。目をつぶっても歩けた。
そして、明りを必要としないならず者たちが女を、時には連れの男を襲い、男は殺し、女は慰み者にしてきた。この日もそのつもりだった。めったにいないほどの上物が三人も釣れ、彼らははやる気持ちを抑えて塔に向かった。
生き残った三人は、訳の分からないことを口走って駐在員を困らせた。
「光の雨」「怪物のような大男」「影が襲ってくる」
エンリコと二人の仲間と五人の仲間だったものを連れてきたのは、確かに大男だったが、彼らは夢でも見たのだろう。そう笑い、駐在員はエンリコと二人の仲間を牢獄に閉じ込め、大男に謝礼を渡した。
訓練が終わった時には、すでに日が沈もうとしていた。
バブル崩壊によって頓挫した山の上のマンション計画は、そのまま新たな開発計画が持ち上がることも無く放置されていた。山の上の開けた空間は有刺鉄線で囲われてこそいたが、子供の隠れ家や肝試しに使われるだけの、死んだ不動産になっていた。
夏場は忍び込む子供やカップルの絶えない囲いの中は、季節が秋から冬に変わる頃には閑古鳥が鳴くようになる。かろうじで建物の様相を呈した箇所には、腐った水とカビの臭い、菓子の空き袋や空き缶、ペットボトルが散乱し、ほうき草が生えた荒れ野は、膨らんだ本や花火の燃えカス、プラスチックの弾丸などが転がっている。
「つかれたー」
切り払われたほうき草を尻に敷いて、汗を拭ったのは緑の髪の少女。トリコロールではない。淡いブルーのジャージ姿だ。無言で差し出されたペットボトルを受け取り、喉を鳴らして飲む。
「慌てて飲むとむせるぞ」
「だいじょ・・・ぐへほッ!」
言わんこっちゃない、白い髪に、黒いトレーニングウェアの少年は、少女の濡れた胸元をタオルで拭いてやる。そのまま首と顔も拭き上げる。
「ほらアリア。汗はちゃんと拭け。風邪を引く」
「ありがとソヴィア」
頬を染めてはにかむ少女アリア。しかし、その姿は薄闇にまぎれていた。
二人は、この廃墟を訓練に使っていた。教師は常にソヴィアで、生徒はアリアだった。アリアの痩せた肢体はあまり運動に適していない。しかし、だからといって投げ出すわけには行かない。そうしなければ危険が増すのだ。
「少し休んだら帰るぞ」
ソヴィアの呼びかけにアリアは頷き、それが見えていないかもしれないと気付いて「うん」と返した。訓練に使った道具や荷物を回収し、リュックに詰めるソヴィアの姿を目で追いながら、アリアはふと考える。
自分でも分かっていることだが、アリアは馬鹿だ。物事を複雑に見ることが苦手なのだ。それに短絡的で直情的だ。幼少期の栄養不足のせいで筋肉も骨も未発達だし、知識も持っていないし技術も稚拙だ。日本語だって自分で使っているわけじゃないし、料理の一つも満足にできない。
アリアは考える。
自分は、足手まといなんじゃないのだろうか。ソヴィアは賢く、技術もしっかり身についているし、三ヶ国語が喋れて、料理も得意だ。もっと、ソヴィアのための訓練があって、それをやればソヴィアはもっともっとすごくなるんじゃないのだろうか。自分がソヴィアの枷になってはいないのだろうか。
そう考える。
帰り道。
整地されていない山道はでこぼこで、当然街灯も無い。今日は生憎の曇天で月はおろか星のひとつも見えない。眼下遠くに瞬く街の明りは、足元を照らしてくれるほどにも明るくなかった。
「・・・まるで今日の訓練だな」
自嘲的なソヴィアの言葉に、アリアは自分の恐れていたことが、本当だと確信した。足手まといなのだ。アリアは、ダメな子なのだ。
だが、ソヴィアの次の言葉は、アリアの予想に反したものだった。
「アリア、今日は悪かった」
「・・・え?」
謝られるなんて。謝るのは自分のほうなのだ。アリアが悪いんだ。ソヴィアの足を引っ張ってばかりで。
「教えるのがこんなに難しいとは思わなかった。やることを頭の中で組み立てていたが、上手くできなかった。自分では当然のようにできることでも、それを誰かに伝えるっていうのは勝手が違う」
ソヴィアの独白。アリアにはアリアの悩みがあるように、ソヴィアにはソヴィアの悩みがあるのだ。多分、あのモノクロの少年はいつも通りの融通の利かなさで「アリアに上手に教えられなかった」とか悩んでいるのだ。そして「アリアの成長の妨げになっているのかも」とか。
そこまで考えて、アリアはクスクス笑った。まさか、そこまで一緒なはずない。それにソヴィアは賢いから、きっと「ならどうするか」で頭の中は一杯のはずだ。
「ソーヴィア!」
アリアの目は、闇を見通す。だから正確にソヴィアの手を掴むと、ぎゅっと握った。
「えへへー」
ぶんぶん振る。なんだか可愛いと思った。そして一緒にいたいと思った。でも、ソヴィアの言うとおりだ。何て言ったらいいか分からない。このあふれ出て爆発しそうな想いをどう伝えればいいか分からない。
「・・・どうした?」
「なーんでも♪ 早く帰ろッ!」
アリアはちょっぴり、今日の曇天に感謝した。ソヴィアが足元が見えないから、こうやって手を握れるのだ。
握り締めたソヴィアの手が暖かかった。
大陸西部の街道沿いの宿場に、二頭立ての馬車が止められていた。
御者をしていた禿頭の男が、金髪の娘をはべらせて手近な宿に入った。その間、御者席には防塵衣の人物が座り、その横には先ほどの娘に良く似た金髪の娘が頬杖をついていた。
「姉さん、大丈夫かしら?」
ただの宿探しと買い物だ。何も問題は無いだろう。なのに金髪の妹は心配そうに宿の入り口を見ていた。厩があり、それなりに小奇麗、個室が好ましい。以上が彼らの宿探しの条件だった。
貴重品が多いわけではないが、彼らは一般的な旅人にしては小金持ちだ。さらには一行の半分以上が妙齢の女性であり、大部屋を使うのは躊躇われた。旅に向かない服装の姉妹の着替えと、着替えの場所が必要であり、そして疲弊しきった彼女らを休ませる必要もあった。
スイングドアを開けて出てくる二人。首を振る禿頭の男。宿場には大小さまざまな宿が並んでいる。その数は両手で数え切れないほどだ。条件にあった宿もあるだろう。それを根気よく探す必要があった。
「あ、私もッ」
飛び出そうとし、飛び出した妹は痛めた足に走った激痛に眉をしかめた。
「ドレイクは紳士だ。ルーシィに不埒な真似はしないさ」
馬車の幌から顔を出した子供が、大人びた口調で嗜めた。砂漠の民の衣装。胸元で瞳のお守りが揺れている。
「それよりもユフィ、そろそろ客引きが来るぞ」
彼の言うとおり、何人もの男たちが彼らの様子を遠巻きに伺っていた。二頭立ての幌つき馬車。御者席に座るのは綺麗な服の女性。上客だと思われてもしょうがない。
「宿はお決まりですか?」
「連れが探してますわ」
つんと応えるユフィ。
「それまでここでは退屈でしょう。わたくしの宿の一階は酒場になっております。荒くれの男よりも、お客様のような上品な方の集まりになっておりまして、日暮れには高名な吟遊詩人の歌もございます」
「結構」
少年の言葉に、客引きは一瞬目を向けたがユフィに目線を戻す。子供の話など聞く気は無い。
「おい」
禿頭の男ドレイクのドスの利いた声。客引きが仰天する。
「宿が決まったぞ」
親指で示すドレイクの後ろでは、頬を染めたルーシィが彼の裾を掴んでおり、ユフィはきりきりと眉を上げた。
翌日。郊外に建てられた石造りの塔を、古着に着替えた姉妹と、防塵衣の人物が登っていた。
塔の内壁の階段は古いが頑丈なつくりで、危なげが無かった。千年以上昔の建物だと、宿の従業員は語っていたが、それにしては風化していない。
「ドラ娘さん。怖くないんですか?」
ルーシィの問いに、先頭を歩いていた防塵衣の娘は振り返る。中空は吹き抜けで、塔の高さは二十メートル以上。現在三人のいるのは中ほどだった。塔の壁にはいくつもの明かり取りがあり、多少暗いが不便なほどではなかった。しかしそのせいで、高さが実感できるのは困りものだ。
「宿の人が言っていたとおり、魔法で保護されてるなら安全だよ」
ここは、この宿場の数少ない観光地だという話だった。千年前の戦争で作られた見張り塔であったが、当時の記録は無く、どのような状況で使われたかは分からなかった。
塔そのものが魔法で守られており、最上階にはいまだに二種類の魔法器具があるという。
他のものは取り去られてしまったが、その二つは大きすぎるために取り出せなかったのだという。
「伝令用だったのかな?」
指定した方向に光を放つ大きな鏡と、大型の双眼鏡。それがこの塔に残った最後の魔法器具。
へとへとになりながら最上階に辿り着いた姉妹と違い、ドラ娘は元気な様子でそれらに近づいた。
本来は魔力結晶に貯蓄した魔力を動力とするはずのそれらだったが、すでに魔力結晶は取り外されており、ただのガラクタに成り下がっていた。
「・・・千年か」
感慨深く呟くユフィ。生まれて二十年も経っていない。家は二百年前から続く名家だと、母は言っていた。途方も無い遠い時間。想像もできない。
「ユフィ!」
姉の大声に、ユフィは身を縮めた。あの姉が何かを叫ぶなんて、そうあることではない。
「見て!」
双眼鏡を覗き込んでいたルーシーがユフィを引っ張り、双眼鏡に押し付ける。
「姉さん、もう見れないんじゃ・・・え?」
よく見えた。
遠い山々の木々の一本一本が見えた。こんなに高い視線は初めてで、しかも何もかもが詳細に見えた。街道を歩く馬車や商人も、その先の、無数の塔を重ねた建物も。
「・・・レインバック?」
それが、レインバック大図書館。
この大陸における魔法の大家。ドラ娘たちの旅の、最初の目的地。
なんともいえない胸騒ぎを覚え、ユフィは胸を押さえた。
魔法器具に魔力を供給していたドラ娘と、興奮したルーシィは、そんなユフィに気付かなかった。
朝もやの山道を一台のバスが悠然と進んでいた。
乗客は多くない。椅子の半分以上が空いていた。心地よい静寂。エンジンの振動とカーブの揺れ。真ん中あたりの二人席に、一組の男女が座っていた。
目立つカップルだった。
窓側に座る少女は、新緑のような髪をしていた。ライトグリーンのワンピースと、鉤編みの白カーディガン。白猫のリュックを膝上において、小さな頭を隣の少年の肩に乗せ寝息を立てている。
少女を起こさないようにしながらバスの外の風景に目を走らせる少年は、黒いジャケットにジーンズという地味な出で立ちだ。しかし、白い髪に黒い肌という組み合わせが、常に彼を好奇の対象にしている。
『次は、笹尾根ハイフロンティア前』
案内の声が聞こえ、少年が少女を揺り動かす。
「ん~?」
寝ぼけた声を出す少女、少年はその髪を優しく撫でた。
「ついたぞアリア……遊園地だ」
事の発端は、二日前。
アリアとソヴィア。少年少女はある組織の尖兵であり、そして基本的に拘束時間は四六時中だ。
アリアは毎日勉強を、ソヴィアは時間のあるときにアルバイトをしているが、組織に必要とされればいつでも出頭しなければならなかった。
だが、世間では残暑も終わりそうな九月の終わり、二人の上司がこう言った。
「二人とも、夏休みってあったっけ?」
顔を見合わせて首を振る二人。時間のあるときは常に休みだ。だから長期休暇が貰えるとは考えていなかった。そして何より、もう時期はずれだ。
「じゃあ、これ行って来いよ」
そう言って差し出されたのが、市内の外れにある遊園地、笹尾根ハイフロンティアの招待券だった。
いつ呼び出されるか分からない二人は、出かけるとしても拘束される場所へはいけなかった。市民プールでも、常に呼び出される心配をする必要があった。
それが、遊園地?
「実は期限が今月中」
上司は苦笑すると、ソヴィアの手に招待券をねじ込んだ。本当は上司が恋人と行く予定だったのかもしれない。しかし、上司もその恋人も多忙の身だ。それとも、もしかしたら上司はふたりを気遣って・・・。
「ありがとうこーいち!」
「きにすんな! 世界最強の勤めって奴だよ!」
よく分からないことを言う上司。それを尻目に純粋に喜ぶアリアを見て、ソヴィアも溜飲を下げた。単純に喜ぼう。感謝しよう。そして、ふたりで楽しもう。
「ぶろっこりーさーん♪ あすぱらさーん♪」
適当な音程をつけて鼻歌を歌いながら、アリアがプラスチックの串に炒めたブロッコリーとアスパラを突き立てる。カリフラワーにプチトマト。色彩豊かな弁当箱だ。
「でもソヴィア、本当におにくなくていいの?」
「いいんだよ」
眉をひそめるアリアの口に、皮を剥いたぶどうを入れながらソヴィアは微笑んだ。
「それともお前は、オレの作った豆腐ハンバーグは嫌か?」
「いやじゃないよ!」
動物性たんぱくを消化できないアリアのために、ふたりのお弁当は野菜中心だ。二段重ねの弁当箱の一段は野菜と果物。もう一段はソヴィアが作った豆腐ハンバーグと栗おこわだ。
休暇をもらった足で管理人に料理を教わり、二人で作ったお弁当。それをソヴィアが持ち、アリアのバッグにはお菓子が詰められた。
前夜には興奮して眠れないアリアをソヴィアが無理矢理寝かしつけ、早朝のバスで笹尾根ハイフロンティアへ向かった。初めての遊園地。普段斜に構えているソヴィアも、実は心が躍っていた。
「ついたね!」
「そうだな」
招待券を一日パスポートに変え、中へ。
「一度場外に出ますと無効になりますのでご注意ください」
受付の注意に対し、アリアが神妙に頷いた。
「・・・どれから行く?」
「どうせ全部乗るんだろ?」
笹尾根ハイフロンティアの敷地は特別広くない。施設も十程度だ。昨晩ふたりでインターネットを見たおかげで、どこに何があるかはばっちりだった。
「じゃあさぁ、まずはやっぱりジェットコースター!」
喜色満面のアリア。それを、ソヴィアが手で制した。
「・・・電話だ」
蒼ざめるアリア。ソヴィアは淡々と電話を取った。二、三言のやり取り。「はい」「いいえ、大丈夫です」「わかりました」振り返るソヴィア。口をつぐむ。言い出せない。
「お弁当・・・食べれなくなっちゃいそうだね」
微笑むアリア。ぜんぜん平気! とでも言いたいのか。だが、目の端に涙が浮かんでいた。
「・・・・・すまない」
「ソヴィアが悪いんじゃないよ! わるいひとがいけないの!」
アリアは自分のまぶたを引っ張り目を尖らせる。ふたりは笑い。笹尾根ハイフロンティアを後にした。
大陸西部の街道を二頭立ての馬車が南下していた。幌付きの馬車は鉄製の枠がつけられており、かなり上等なつくりだ。引く馬は若くは無いが骨が太く、荷馬としては優秀な部類に入るだろう。
御者席には禿頭の男と金髪の娘。金髪の娘は不安な様子で、馬車の前を歩く人影を見ている。
馬車の前を歩くのは、防塵衣を着込んだ人影と、御者席の娘に良く似た金髪の娘。
「ユフィさ、歩きにくくない?」
防塵衣の人影が、隣を歩く金髪の少女に問いかけた。ユフィという少女は額の汗を拭うと、首を振って応えた。何か言うのも億劫なのだ。豪華ではないが質のいいスカートは足にまとわりつき、装飾品が肩と腕に食い込む。高いヒールの靴は整備された道なら良いが、すこし路面が悪くなるとすぐに足を痛めつける。実はユフィの白い足は靴擦れでぼろぼろだった。
御者台に座るユフィの姉も半日前に同じように歩いており、現在足に巻いた包帯に血を滲ませていた。
姉は、もう少し歩いた。音を上げなかった。姉への対抗意識が無いわけではない。いつも温和な姉に負けたくない。しかし、それと同じくらいに姉の妹でありたい気持ちがあった。姉に誇ってもらえる妹でありたい。いつもそう考えていた。
だから、まだ平気だ。
何も無いところでつまづき、転倒する妹を見て飛び出そうとする姉を、禿頭の男が制した。有無を言わせぬ視線。足が言うことを聞かないのか立ち上がれない妹に、防塵衣が近づき肩を貸す。
「ルーシィさん、今行ってもあんたも足を痛めるだけだ。あいつが連れてくるまで待つんだ」
心配で気が気でない姉。きっかけは、昨日。自分の発言だ。
「どうしてドラ娘さんはいつも歩いているんですか?」
禿頭の男の隣に座ったルーシィは、当然の疑問を投げかけた。二頭立ての馬車は頑丈で、五、六人までならば安心して乗れるだろう。しかし防塵衣のドラ娘は、日中を常に歩いていた。
「あたしたちがどれくらい旅するか分からないけど、馬が結構疲れるらしいんだ」
戸惑うルーシィ。禿頭の男を見るが、彼は視線をそらしてしまった。ルーシィと、今は馬車の中で寝ているユフィは、好意でこの一行に参加している。馬の疲労を考えるならば、誰であろう彼女ら姉妹こそがその原因ではなかろうか。
故あって。
「私も歩きます!」
となったのだ。
「大体、そんな格好で長時間を歩こうって言うのがおかしいんだ」
「ドレイクさんごめんなさい」
禿頭の男が、ユフィを馬車に担ぎ込み、応急処置をしていた。無理をしていたのだろう。心配そうなルーシィがいくら覗き込んでも、妹は寝息を立てるばかりだ。
「とりあえず、今日明日は休め。まずは靴擦れを治さないとどうしようもない。明後日に町につく。そこで靴を買え。ついでに代えの服もだ」
「え・・・?」
ルーシィは頬を染め、身を縮めて顔を隠した。眉をひそめるドレイクに、ルーシィは金魚のように口をパクパクした後、意を決した様子で尋ねた。
「に・・・臭いますか?」
「・・・お前ら、事情があって何かから逃げてるんだよな?」
「え!? ・・・ご存知だったんですか?」
ドレイクは天を仰いだ。何も気付いていない振りを続けてきたのに、ついやってしまった。
「下着の替えもないだろうし、動きやすい服だってある。まだ臭いは気にならないが、いつかは臭くもなるだろうよ。それより何より、服や装飾品で足が付くとは思わないのか?」
ルーシィはドレイクの言葉にしばらく呆然とした後。愕然とした様子で頷いた。
「ドレイクさんてすごいんですね!」
ドレイクにはもう、言葉も無かった。