朝もやの山道を一台のバスが悠然と進んでいた。
乗客は多くない。椅子の半分以上が空いていた。心地よい静寂。エンジンの振動とカーブの揺れ。真ん中あたりの二人席に、一組の男女が座っていた。
目立つカップルだった。
窓側に座る少女は、新緑のような髪をしていた。ライトグリーンのワンピースと、鉤編みの白カーディガン。白猫のリュックを膝上において、小さな頭を隣の少年の肩に乗せ寝息を立てている。
少女を起こさないようにしながらバスの外の風景に目を走らせる少年は、黒いジャケットにジーンズという地味な出で立ちだ。しかし、白い髪に黒い肌という組み合わせが、常に彼を好奇の対象にしている。
『次は、笹尾根ハイフロンティア前』
案内の声が聞こえ、少年が少女を揺り動かす。
「ん~?」
寝ぼけた声を出す少女、少年はその髪を優しく撫でた。
「ついたぞアリア……遊園地だ」
事の発端は、二日前。
アリアとソヴィア。少年少女はある組織の尖兵であり、そして基本的に拘束時間は四六時中だ。
アリアは毎日勉強を、ソヴィアは時間のあるときにアルバイトをしているが、組織に必要とされればいつでも出頭しなければならなかった。
だが、世間では残暑も終わりそうな九月の終わり、二人の上司がこう言った。
「二人とも、夏休みってあったっけ?」
顔を見合わせて首を振る二人。時間のあるときは常に休みだ。だから長期休暇が貰えるとは考えていなかった。そして何より、もう時期はずれだ。
「じゃあ、これ行って来いよ」
そう言って差し出されたのが、市内の外れにある遊園地、笹尾根ハイフロンティアの招待券だった。
いつ呼び出されるか分からない二人は、出かけるとしても拘束される場所へはいけなかった。市民プールでも、常に呼び出される心配をする必要があった。
それが、遊園地?
「実は期限が今月中」
上司は苦笑すると、ソヴィアの手に招待券をねじ込んだ。本当は上司が恋人と行く予定だったのかもしれない。しかし、上司もその恋人も多忙の身だ。それとも、もしかしたら上司はふたりを気遣って・・・。
「ありがとうこーいち!」
「きにすんな! 世界最強の勤めって奴だよ!」
よく分からないことを言う上司。それを尻目に純粋に喜ぶアリアを見て、ソヴィアも溜飲を下げた。単純に喜ぼう。感謝しよう。そして、ふたりで楽しもう。
「ぶろっこりーさーん♪ あすぱらさーん♪」
適当な音程をつけて鼻歌を歌いながら、アリアがプラスチックの串に炒めたブロッコリーとアスパラを突き立てる。カリフラワーにプチトマト。色彩豊かな弁当箱だ。
「でもソヴィア、本当におにくなくていいの?」
「いいんだよ」
眉をひそめるアリアの口に、皮を剥いたぶどうを入れながらソヴィアは微笑んだ。
「それともお前は、オレの作った豆腐ハンバーグは嫌か?」
「いやじゃないよ!」
動物性たんぱくを消化できないアリアのために、ふたりのお弁当は野菜中心だ。二段重ねの弁当箱の一段は野菜と果物。もう一段はソヴィアが作った豆腐ハンバーグと栗おこわだ。
休暇をもらった足で管理人に料理を教わり、二人で作ったお弁当。それをソヴィアが持ち、アリアのバッグにはお菓子が詰められた。
前夜には興奮して眠れないアリアをソヴィアが無理矢理寝かしつけ、早朝のバスで笹尾根ハイフロンティアへ向かった。初めての遊園地。普段斜に構えているソヴィアも、実は心が躍っていた。
「ついたね!」
「そうだな」
招待券を一日パスポートに変え、中へ。
「一度場外に出ますと無効になりますのでご注意ください」
受付の注意に対し、アリアが神妙に頷いた。
「・・・どれから行く?」
「どうせ全部乗るんだろ?」
笹尾根ハイフロンティアの敷地は特別広くない。施設も十程度だ。昨晩ふたりでインターネットを見たおかげで、どこに何があるかはばっちりだった。
「じゃあさぁ、まずはやっぱりジェットコースター!」
喜色満面のアリア。それを、ソヴィアが手で制した。
「・・・電話だ」
蒼ざめるアリア。ソヴィアは淡々と電話を取った。二、三言のやり取り。「はい」「いいえ、大丈夫です」「わかりました」振り返るソヴィア。口をつぐむ。言い出せない。
「お弁当・・・食べれなくなっちゃいそうだね」
微笑むアリア。ぜんぜん平気! とでも言いたいのか。だが、目の端に涙が浮かんでいた。
「・・・・・すまない」
「ソヴィアが悪いんじゃないよ! わるいひとがいけないの!」
アリアは自分のまぶたを引っ張り目を尖らせる。ふたりは笑い。笹尾根ハイフロンティアを後にした。
いつだって物が雑多に置いてある場所。
それが、エリスが抱くアッシュの部屋に対する感想だ。
仕事に使う薬品や道具はもちろんのこと、様々な種類の本やその他何に使うのか分からない物まで、とにかく物で溢れている。
しかし決して乱雑に置かれているわけでもなく、ある程度は整理されている。
そんなアッシュの部屋の真ん中を、なぜか大量の布が占拠している。
「……何に使うのだ?」
借りていた本を片手に、エリスは布とにらめっこしていたアッシュに尋ねた。
「ああ、そろそろ服を新調しようかと思って」
家事の得意なアッシュは、服も自作できる腕前を持つ。現に、エリスの服もほとんどがアッシュのお手製だ。
「季節の変わり目だしね、ちょうどいいと思ってさ」
「ふむ……」
エリスは本を元の戸棚に戻すと、横目で布を選定中のアッシュを見やる。
何やら真剣そうに作業しているので邪魔をしてもいけないと思い、そそくさと部屋を後にしようとしたのだが。
「あ、エリスはどれがいい?」
突然話題を振られた。
見れば、エリスの目の前には何枚かの布が広げられている。どうやら、この中から好みの物を選べということらしい。
「………」
エリスは困った。服や色に対しての好みなど、これまで考えたことはほとんどない。
特に服選びに関しては苦労してたため、着れればいいという考えがある。好みなど考える余裕はなかったのだ。
なので結局、
「……まかせる」
そう言って、エリスはそのまま部屋を後にした。
つまりそれは、自分のセンスが問われているということか。
アッシュはエリスの行動をそう解釈した上で作業に取り掛かった。
ただの衣替えだから悲喜こもごもとか、そういう事はなかなか無い。けれど、区切りとしては非常に重宝する。これから暑くなるぞ、寒くなるぞ、というだけでなく。
「まだ寒くなってないんで、冬服とかあってもちょっと困りますよね。マクさんはそういうの、大丈夫ですか?」
お腹がいっぱいの時に晩御飯の献立を考える、と、同じニュアンスで少女が困り顔。マクと呼ばれたほうは小さな笑いだけ返している。
「あ、あの、去年の服、ちょっと小さくなってました」
そう語る少女は少し嬉しそうにうつむく。
「ユエは大きくなりましたか?」
マクがあやすようにたずねると、満面の笑みでこくこくと頷く。
「あ、でも、その……昔の、着れなくなりそうで、ちょっと嫌です」
そう言いながら脇に畳んである服を広げる。それは昔、マクが買ってあげた服で、少女にとっては特別の一着。
「ああ、裁縫道具は下だから今度直しておくよ」
と、白髪は作業に没頭するふりをしながら。
「裁縫道具?」
「うん、少し大きくすれば、まだ着れるよ……ところで、背はどれくらいになったの?」
半瞬の沈黙。マクが無言でメジャーを取り出すと、観念して少女がまっすぐに立つ。
「ふむ、一年で二センチ近く伸びてる」
「……ありがとうございます」
これで一段落と衣替えを再開するが、それもまたすぐに止まる。
「あ……マクさん、これ」
タンスの下段、冬服のさらに奥、取り出す予定の無い服を見てユエが声を上げた。
「ん? あ……それか」
「久しぶりで……ちょっと懐かしいです」
取り出された黒い制服。少し埃をかぶっているだけで、その重さ、感触は少女の記憶とまったく変わらない。
「ちょっと着てみませんか?」
「これ?」
「はい」
マクは少し躊躇いつつも、少女の期待に満ちた瞳と満面の笑みに屈したようで、苦笑いしながらも袖を通し始めた。
「相変わらずだぶだぶです……」
背が低い事を気にしてか、少し不機嫌にそうもらす。
「私のだしね」
自分より頭一つ小さい少女の頭を撫でながら笑う。
「でも、マクさんは……やっぱしかっこいいです」
「ん、ありがとう」
見慣れているから、はマクの蛇足。
マクは「ユエも」と、喉まででかかったが、この服では不本意なのでやめることにした。代わりに、もう一度頭を撫でて、恥ずかしそうにする少女を見て笑った。
日が暮れるまでには衣替えも終わり、黒い服はまたタンスの奥にしまい込まれ、来年の春の訪れを持っている。
大陸西部の街道を二頭立ての馬車が南下していた。幌付きの馬車は鉄製の枠がつけられており、かなり上等なつくりだ。引く馬は若くは無いが骨が太く、荷馬としては優秀な部類に入るだろう。
御者席には禿頭の男と金髪の娘。金髪の娘は不安な様子で、馬車の前を歩く人影を見ている。
馬車の前を歩くのは、防塵衣を着込んだ人影と、御者席の娘に良く似た金髪の娘。
「ユフィさ、歩きにくくない?」
防塵衣の人影が、隣を歩く金髪の少女に問いかけた。ユフィという少女は額の汗を拭うと、首を振って応えた。何か言うのも億劫なのだ。豪華ではないが質のいいスカートは足にまとわりつき、装飾品が肩と腕に食い込む。高いヒールの靴は整備された道なら良いが、すこし路面が悪くなるとすぐに足を痛めつける。実はユフィの白い足は靴擦れでぼろぼろだった。
御者台に座るユフィの姉も半日前に同じように歩いており、現在足に巻いた包帯に血を滲ませていた。
姉は、もう少し歩いた。音を上げなかった。姉への対抗意識が無いわけではない。いつも温和な姉に負けたくない。しかし、それと同じくらいに姉の妹でありたい気持ちがあった。姉に誇ってもらえる妹でありたい。いつもそう考えていた。
だから、まだ平気だ。
何も無いところでつまづき、転倒する妹を見て飛び出そうとする姉を、禿頭の男が制した。有無を言わせぬ視線。足が言うことを聞かないのか立ち上がれない妹に、防塵衣が近づき肩を貸す。
「ルーシィさん、今行ってもあんたも足を痛めるだけだ。あいつが連れてくるまで待つんだ」
心配で気が気でない姉。きっかけは、昨日。自分の発言だ。
「どうしてドラ娘さんはいつも歩いているんですか?」
禿頭の男の隣に座ったルーシィは、当然の疑問を投げかけた。二頭立ての馬車は頑丈で、五、六人までならば安心して乗れるだろう。しかし防塵衣のドラ娘は、日中を常に歩いていた。
「あたしたちがどれくらい旅するか分からないけど、馬が結構疲れるらしいんだ」
戸惑うルーシィ。禿頭の男を見るが、彼は視線をそらしてしまった。ルーシィと、今は馬車の中で寝ているユフィは、好意でこの一行に参加している。馬の疲労を考えるならば、誰であろう彼女ら姉妹こそがその原因ではなかろうか。
故あって。
「私も歩きます!」
となったのだ。
「大体、そんな格好で長時間を歩こうって言うのがおかしいんだ」
「ドレイクさんごめんなさい」
禿頭の男が、ユフィを馬車に担ぎ込み、応急処置をしていた。無理をしていたのだろう。心配そうなルーシィがいくら覗き込んでも、妹は寝息を立てるばかりだ。
「とりあえず、今日明日は休め。まずは靴擦れを治さないとどうしようもない。明後日に町につく。そこで靴を買え。ついでに代えの服もだ」
「え・・・?」
ルーシィは頬を染め、身を縮めて顔を隠した。眉をひそめるドレイクに、ルーシィは金魚のように口をパクパクした後、意を決した様子で尋ねた。
「に・・・臭いますか?」
「・・・お前ら、事情があって何かから逃げてるんだよな?」
「え!? ・・・ご存知だったんですか?」
ドレイクは天を仰いだ。何も気付いていない振りを続けてきたのに、ついやってしまった。
「下着の替えもないだろうし、動きやすい服だってある。まだ臭いは気にならないが、いつかは臭くもなるだろうよ。それより何より、服や装飾品で足が付くとは思わないのか?」
ルーシィはドレイクの言葉にしばらく呆然とした後。愕然とした様子で頷いた。
「ドレイクさんてすごいんですね!」
ドレイクにはもう、言葉も無かった。
休日の駅ビルは大賑わいだった。
あまり大きな街ではないので、衣料に関して言えば駅ビル内の専門店街と量販店が幅を利かせているのだ。
その分、食料品などは地元の商店街が奮戦しており、駅ビルでは全国チェーンの強みである種類や時間で対抗していた。
駅前で人待ち顔の少女に、小走りで近づく影があった。白い猫の帽子。白い猫の斜め掛けカバン。モスグリーンのワンピース。右手の傘のフリルが雨に塗れていた。
「おっそーい。目の前なんだから遅刻しないの!」
来た待ち人は三十分の遅刻。少女はメガネを直し、待ち人のファッションチェック。そして自分の綿のパンツとTシャツという姿にため息をついた。可愛くも色気もない。
「アリアが傘を捜していてな。自室にないからどこかに忘れたとマンション中を探したんだが、実は未開封で部屋にあった」
ため息交じりに、モノクロの少年。傘も色気のない黒。ある意味徹底している。
「ごめんね司!」
可愛いアリアの上目遣いな謝罪に、少女、新見司はため息で返した。あー。なんたること。可愛すぎる。
司はアリアの髪を撫で回し、そしてモノクロの少年に物言いたげな視線を向ける。
「オレは、財布」
「でも、今日はおこづかいもらってきたよ!」
小さながまぐちを取り出すアリア。モノクロの少年がそれを取り上げ、アリアのカバンに放り込む。
「月千円? それはちょっと少なくない?」
「司も思うでしょ? でも小遣いアップのためのストライキを予定しても、おやつを抜きにされちゃうからできないの・・・」
「おまえのおやつ代はどこから出てると思ってるんだ・・・?」
「ソヴィアの懐?」
「そうだ」
少年少女が談笑しながらパスタを口に運ぶ。動物性たんぱく質が食べれないアリアでも平気な店で、三人はよく一緒に来ていた。
このところ急に冷え込むため、秋物を購入しようという算段だ。
「まだ残暑が来るかもしれないからな、あまり暑そうなのはやめとけよ」
「えー、もこもこがかわいい!」
「カーディガンは? アリアのキャミソールは濃い色多いから、やっぱり白かな」
「あたし手が短いから袖余っちゃう」
「・・・」
「なにがおかしいのーッ!?」
あまった袖をたらすアリアを想像して、司は噴き出した。ソヴィアも失笑する。
司は、普通の人間だった。
アリアやソヴィアのような、闇の世界に生きる怪物ではないのだ。
司は一度、闇に捕まりそうになりアリアに救われた。肉体的にも、精神的にも。
それから彼女は、このすこし間抜けな娘が好きでたまらない。出来ることは少ないけれど、力になりたい。
そう考えていた。
「おそろいで買おうよ」
「んー、でも、ちょっと足りない・・・」
アリアのがま口に住んでいた新渡戸稲造は、パスタと、その後買ったポロシャツのせいで夏目漱石三人になってしまっていた。
司の指差した白いカーディガンは確かに欲しいが、ちょっと足が出る。
財布を取り出したソヴィアを目で制し、司は二人分のカーディガンを手に取った。
「じゃあ、後でおそろいのアクセ買ってよ」
きょとんとするアリア。司は満面の笑み。
「・・・うん! おそろいってはじめて、嬉しい!」
すぐに大喜びのアリアを見て、司は意味ありげにソヴィアに視線を向けた。
一緒にいる。一緒に何かをする。
アリアとふたりなのはソヴィアだけれど、自分もまた、時にはそこに立てるのだ。
笑みが隠し切れない司を見てソヴィアは、おそろいが無いのはファッションセンスの違いであることを口にするのをやめた。