きっかけは夕飯だった。
「ねえソヴィアー」
白赤緑の三色少女、アリアは食事の際も相変わらず三色だ。大好きな和み系マスコットの帽子はさすがにつけていないが、白いブラウス、新緑の髪、額の赤い飾り石。完全な三色だった。
対するモノクロの少年、ソヴィアは無言でしょうゆを渡した。白髪に黒ずくめの少年は、しょうゆをこぼしても汚れが目立つ心配は要らなさそうだ。だが、その分粗忽なアリアの心配をする。
「つけすぎるなよ」
「ありがとー! ・・・じゃなくて。ちがうよー」
アリアはしょうゆを受け取り、おひたしに一滴垂らした。そして不器用ながらに慣れた箸遣いで口にする。
「ガーって、ごはんたべるの?」
ソヴィアは、眉をしかめた。斜め後ろあたりを見上げる。そこには何も無い。存在しない。
二人は、ある闇の組織の走狗である。一般的な常識の外側を歩く、黄昏時の怪物だ。
たとえば、アリアの緑の髪は地毛だし、額飾りはフェイクだ。アリアの額を飾る赤い石は、実はその肉を割って覗いている。
そしてソヴィアは、怪物を負っている。
全身の体毛が色を失うほどの恐怖を伴う怪物。悪魔殺しの魔竜の魂が、ソヴィアの魂と同化していた。
その魔竜。水竜ガーグラーは、物体と霊体の狭間にある『触れられるが傷つかない』モノである。そいつは絶対に壊れない。故に何もかも破壊できる。
「幽霊は食事しないだろう」
「でも、ガーは半分物体でしょ?」
ガーグラー。通称ガー。ソヴィアと感覚を共有する古代竜。食べさせようと思えば食べるかもしれない。
しかし、食事が必要ならば、ずっと必要だったはずだ。
ソヴィアの首の横から、巨大な頭が現れた。教会の屋根によく見かけるそれは、ガーゴイルのそれである。
「あーん」
餌付けをするアリア。ガーは匂いを嗅ぐ様に鼻を近づけ、口を開けた。
「こらッ」
と、ソヴィアがガーを引っ張り、アリアの腕ごと食いちぎりそうな巨大な顎が凶悪な音を立てて閉じた。
「だめ?」
上目遣いで小首をかしげるアリア。ソヴィアは「ダメだ」と念を押すとガーを引っ込めた。
「ガーは物体と霊体のどっちでもないものだからな、違うものを与えて腹でも下されたら困る」
「あー・・・そうだね」
納得したアリア。ソヴィアはこっそり嘆息した。
ガーは体長三メートルほどの巨体だ。もし本当に食べて、味を占めて、毎食食べるようになったら?
未然に防いだ食費の浪費を想像し、ソヴィアは身震いした。
それは、ある依頼を終えての帰り道でのこと。
道中にある町で大規模な祭りが開催されているとのことで、アッシュはそれを見ていこうと提案。
エリスは人混みが苦手なので最初は渋ったのだが、アッシュの押しの強さにとうとうそれを認めたのだった。
町の人混みは二人の予想を遥かに超えたものだった。
道には露天と人が所狭しと溢れ、あちらこちらでにぎやかな声が聞こえる。
「どこかで待っててくれていいよ?」
さすがにこの人混みは辛いだろうとアッシュはそう提案したが、エリスは意外にも首を横に振った。
「…少しくらいなら」
確かに、この人混みで二手に分かれても後々合流できるか不安ではある。
それに宿も酒場もどこも盛況で、どこかで静かに過ごせそうな場所もなかったのだ。
とりあえず、二人で中心部から離れた露天でも覗こうかということになったのだが……。
これが最大の罠であった。
露天には見たこともないような品々が数多く並べられており、アッシュはその中でも使えそうな薬草や食品などを買い揃えていた。
そんな最中にアッシュはふと、肩にのしかかる重みを感じた。
振り返った先で見たものは……。
「エ、エリス?」
アッシュは慌てて倒れこんだエリスを両手で支えた。見れば彼女の顔はすっかり青ざめ、血の気を失っている。
買い物に夢中になって気づかなかったのだが、いつの間にか人が最も集まる中心部に来てしまったらしい。
周囲を見渡して見れば、人が密集し歩くのも精一杯な状況だ。元々こういった環境が苦手なエリスには相当厳しかったのだろう。
アッシュは、もっと彼女に気を配るべきだったと後悔した。いや、いつもならそれなりの配慮はしてきたつもりだ。
しかし今日はすっかり買い物に夢中になってしまい、結果的にエリスに限界を超えるまで無理強いをさせてしまった。
顔色の悪いエリスを支えながら、アッシュは慌てて人混みを後にした。
「……ごめんね?」
帰り道、アッシュは小さく謝罪した。
間違いなく怒られると思ったのだが。
「……別に」
意外にも、エリスからはいつもの返事が返ってきただけ。
拍子抜けするアッシュを尻目に、エリスはどんどん先へ進んでいく。
己の不甲斐無さも大概なのだろうが、とエリスは思う。
あんな楽しそうなアッシュを見て何も言えなくなる自分も、まだまだ甘いなと思わず苦笑した。
どこいつでその話をしたかはうろ覚え。けれどやる事もないしと……なんとなくと、少女は家のソファーで一人本を読みながら思い至った。
百科事典なんて目じゃないくらいぶ厚い専門書にしおりを挟む。外に出る支度、と言うのは特にない。後ろで結った黒髪を鏡の前でもう一度確認し、玄関の鍵を閉める。
外に出ると夕焼け空。一日中読書に勤しんだ体には少し刺激が強くて、思わず目を細めた。
石畳の坂道を少し下る。そうすれば町に着いて祭りの輪に入れる。そう信じていた。
色彩豊かな光が夜の町をいっそう盛り立て、普段とは違う祭り特有の賑やかさが躍っていたが、少女にはどうしても今日一日と名残惜しむようにも感じられてしょうがなかった。
賑やか。それは間違いない、と、少女はため息をついた。別に自分の考えが叙情的だったから、と、言うわけではない。あてが外れたから。
ここに来れば一人で居る寂しさくらいは紛らわせることが出来ると、そう思っていた。小一時間前の自分の考えの甘さに余計虚しくなり、ちょっと泣きたくなる。
少し歩いて町の真ん中にある噴水の縁に腰掛ける。そこは普段から町で一番賑わう場所。
(どうせなら祭りの終わりまで、終わりの静けさまで堪能してから帰ろう)
昔の思い出。お祭りがあって、静けさがあって……今は違う。そう、解かってる。つもり。けれど?
次第に人影が減り、店の明かりも消えていく。最後に店閉まいの音に混じった店主同士の雑談。幾度か心配されて声をかけられるが、丁寧に断りを入れた。
「嬢ちゃん、早く帰れよ?」
お祭りは終わりと告げられた。けれど期待したかった。
まだ少しだけ商人の姿が見える。深夜の到着なのだ、スケジュールが狂った者が多いらしく、安眠を保障される町まで辿り着いた者たちの表情は一様だった。
残ったのはゆらゆらと、心細げに揺れる街灯。ただ、その街灯の明かりに長い影が伸びていた。
小さく笑う。それから立ち上がり、付いた埃を払い……。
「遅すぎです」
と、小さく呟く。ただ、表情は柔らかく微笑んでいた。
「ごめん」
息を切らせて彼が言う。
「冗談です。三日も早く帰ってきてくれて凄く嬉しいんですよ……」
そこまで言って、言葉が続かず、代わりに抱きつく。
「……寂しかったです」
抱きつく口実のために今日一日があったのかな? そんな事を、突然の事に狼狽しつつも受け止めてくれる彼に感謝しつつ、ちゃっかりと思った。
「帰りますか?」
「お散歩なんてどうかな?」
「はい」
いつものように手を繋いでお祭りを後にする。いつも隣に居た彼は、彼女がこんなところに居た理由すら解からずに微笑んでいるが、少女は説明をする事無く、舌を出して笑うだけだった。
三色の少女が、努めて明るく催促した。
「駄目だ」
モノクロの少年はにべも無く無碍にした。
「う~」
不満そうに指をくわえる少女。白い服と赤い飾りと新緑色の髪。目も眩まんばかりのトリコロール。名をアリア。幼さを残した成長期の少女だが、中身のほうは成長の兆しも見えない。
対する黒人の少年は、いかなる過去があるのか体毛が白かった。名をソヴィア。白髪白眉と黒曜石のような黒い肌が言葉では言い表せない神秘性を持っている。
ソヴィアはアリアの年下の兄貴分で、常識の足りないところのある少女の補佐をしていた。例えば、この日本で派手な外見の外国人二人がどういう目で見られるかについてとか。
「それに、仕事が入った」
二人は、この平和なはずの日本で特殊な立場にあった。
常識の外側に住んでいた。
「あそこの祭は神を鎮めるためのものだ。失敗したら神が暴れる」
「神様暴れたら怖いよー」
「祭を邪魔する奴から祭司を守る依頼だ。遊んでいる暇は無い」
アリアは不承不承頷いた。二人はこうやって生きてきた。神社の関係者とも知らない仲ではない。ただ、少し寂しかった。
アリアもソヴィアも、日本という国に住むようになってまだ一年足らずだ。ある組織に拾われ、仕事はあるが概ね幸せな生活をしてきた。
だが、危険な仕事でもあるのだ。幸せがいつなくなるか分からないのだ。
そしてアリアは、この年下の兄貴分が大好きで、ずっと一緒に居たかった。
「ゆかた、着てみたかったな」
灼熱の太陽の下。準備中の出店を抜け、連れだって神社境内へ。不満を垂れるアリアを、ソヴィアは黙殺した。
神社境内では顔見知りの老巫女が待ち構えており、少し意地悪に微笑んだ。
「あなた方、目立ちすぎですね」
昼の熱気は収まったが、夜店を回る人々が違う熱気を放っている。神輿と山車が並び、太鼓と笛がかき鳴らされる。女装の男と厚化粧の女が踊り、口笛や合い手が飛び交う。
「わるいひと、こなかったね」
黒髪の少女が、化粧をした少年に声をかけた。金魚のゆかたにうちわ。もう片方の手にはりんご飴。
「まあ、来ないに越したことは無いさ、こんな夜を・・・」
少年は言葉を濁した。柄にも無いことを言いそうだった。
「嬉しいし楽しいけど、ちょっとざんねん」
少女は気付かなかったか、それとも聞かない振りか。少年を見上げて微笑んだ。
「やっぱり、いつもの顔がいいな」
少年は少女の髪を乱暴に撫で、少女はかつらがずれて少し慌てた。
そんなアチェスタの町の一角にある小さな酒場は、酒場とは思えないほどの静けさを保っていた。
原因は、客が一人の少女しかいないから。正確に言ってしまえば、その少女が客として入っているから、になるのだが。
少女はとても目立った。美しい容姿を持ち、腰まで届く長い銀髪も十分に目を引くものがある。
ただ、彼女の右目はさらに目立った。まるで竜を思わせるような、縦長の瞳孔を持つ金色の目なのだ。
竜眼のエリス。この町で、彼女の名前を知らぬ者はいない。
そんなエリス自身は、酒が特別好きと言うわけでもない。ただ、時々飲みたくなるのだ。
彼女が所属するギルド、ドラゴンスレイヤーにも酒場としての機能はある。
しかしそこで酒でも飲もうものなら、エリスの親代わりをしているギルドのマスターに何を言われるか分からない。
最近では突然家に転がり込んできた居候のせいで、ますます酒を飲みにくい環境下に置かれつつある。
それでも、ふと酒を飲みたくなる瞬間がある。
だから、こっそりと家を抜け出して来たのだ。
一人で酒を飲む時間が、今ではすっかり貴重なものになっていた。
エリスに最初に酒の味を教えたのは、彼女が記憶している限りでは父親になる。
「お父さん、何飲んでるの?」
ある時、エリスは父が晩酌をしているのを不思議に思ってそう尋ねたことがある。
そして子供心に、父が飲んでいるのだからきっとおいしいものだと思った。
「エリも飲みたい~」
あの頃は、とにかく父のやることは全てまねしないと気がすまなかった。
そんな娘の気持ちを知っていたのか、それとも酔っ払った勢いか。
父は笑いながら、エリスに飲んでいたコップを差し出した。
エリスは早速それを飲んで見たのだが。
「けほっ、けほっ」
当然小さな子供に酒の味など分かるはずもなく、一口飲んですぐにむせてしまった。
父は目に涙を浮かべならむせる娘を抱き上げると、優しく背中をさすってやった。
あの頃は、どうしてあんなに苦いものがのめるのか不思議でしょうがなかった。
今では、何となく父の気持ちが分かるような気がした。
一緒に飲んでみたかったな。
もはや叶わぬ思いを胸に、エリスはゆっくりとグラスを傾けた。
静かに、夜だけが更けていく。