大陸西部の街道脇に、二頭立ての馬車が止まっていた。
幌付きの馬車は鉄製の枠がつけられており、かなり上等なつくりだ。引く馬は若くは無いが骨が太く、荷馬としては優秀な部類に入るだろう。
馬たちはくつわを外され、桶一杯の水を呑み、飼い葉を食んでいる。彼らの主人らは焚き火を囲んでおり、談笑しながら肉を炙っていた。
「干し肉作った奴は天才だね、あたしはこれがあれば他の食べ物いらない」
言いながら干し肉に歯を立てるのは、不健康そうな娘。西部でも東部でも見かけない、抜けるような肌の娘だ。外見は人形のように整っている。ただし、内面は即していないようであるが。
「肉は高いからな。もっと黒パンも食え」
禿頭の巨漢が娘に固そうなパンを差し出した。娘は噛めば噛むほど味が出る肉をもごもごとかみ締めながら柔らかそうな太ももで黒パンを挟んだ。切れ味の悪そうなナイフでゴリゴリとパンを切り、切ったそれをナイフの先に刺して焚き火で炙る。
「パン嫌い」
「お前、白パン食ったら逆になるぞ」
「白パン? そんなの気持ち悪くて食べれないなぁ」
禿頭と娘のやり取りに、小さな影が苦笑した。一目で砂漠の人間だとわかる特徴的なマントとターバンの少年は、娘から受け取った黒パンを小脇に抱えてクックリで切る。砂漠の男の魂だとされるクックリは、人間も動物も捌ける万能の刃物だ。
「君たちも食べればいい」
そう言って、少年が黒パンを差し出したのは、二人組みの女性。
夕刻、ならず者に襲われていたところを彼らに助けられた二人は、まるで野生動物のように警戒し、言葉も食事も口にしていなかった。
「ドレイクは顔が怖いし、ハサドはなんか変だけど、あたしたちはまだ悪党じゃない」
娘が女たちに微笑みかける。禿頭の男ドレイクの目から見ると、怯えた目の女たちの服装は安物ではない。耳飾や指輪は派手ではないが細工がしっかりしているし、服の縫製も一流の手によるものだ。しかも、旅着では無く普段着に近い。靴もヒールがあり、街道を歩くのには向かないだろう。
ハサド少年は女たちが黒パンを受け取らないと見ると、自分で口にした。興味津々な娘と違い、彼は他人に興味を持たない。
と、不意にくうと可愛らしい音がした。一同の視線が女たちに向く。女の片割れが赤い顔で腹を押さえていた。
「おなか減ってるなら食べなよ。さっきのは冗談で、本当に悪党じゃない。それにあたし、同年代の女の人と話してみたい」
一瞬、娘の目に真剣な光が宿る。女たちはそれに気付かず、二人で見詰め合った。今更ながらにドレイクは女たちの容姿を観察する。二人とも良く似ていた。背は特別高くないが、プロポーションは悪くない。切れ長の目はきつい印象を与えるが、美人の類だろう。長い金髪は丁寧に編みこまれている。やはり……。
ドレイクが見つめる中、赤面していない方の女が意を決して干し肉をつかんだ。
「姉さんッ!」
もう一人、妹なのだろう、止めようとするのを振り切り、姉が干し肉にかぶりつき、あまりに濃い味に目を白黒させて喘いだ。
娘は、自分も最初食べたとき同じようにむせたのを思い出して微笑んだ。
大陸西部の街道を、二頭立ての馬車が進んでいた。
幌付きの馬車は鉄製の枠がつけられており、かなり上等なつくりだ。引く馬は若くは無いが骨が太く、荷馬としては優秀な部類に入るだろう。
御者台に座るのは禿頭の大男。筋肉質な胸と頭部に翼飛竜の刺青を入れており、名もドレイクといった。
「治安が悪いみたいだな」
幌の中に話しかけるドレイク。
「そうなの?」
返事は、女の声だった。まだ若い。幼いとも言える。
「商人とすれ違ったが、挨拶無しだ。変な因縁つけられたくないんだろうな」
「ドレイクが悪党面だからだよ」
意地の悪い笑い声。ドレイクは憮然とした。
「お前とて人相は良くあるまい」
「あたしは『見た目は』普通だよ。ドレイクは奴隷監督とかにも見えるね」
「監督される側だがな」
「違いない」
トリティオンの秋祭は、東西の珍品名品が集まるとして名高い。物見に行く貴族も多い。無論、それに乗じようとする輩も多くなる。
ドレイクと女、そして馬車の中で寝ているもう一人の同行者は、祭とは関係しない。ただ、それぞれの目的のために進んでいる。
しかし、それにしてもすれ違う人数が多い。トリティオンの祭は一週間で、残りは半分足らずだが、それでも向かう人間は多いようだ。逆に、離れる人間は少ない。
「やあドレイク」
ロバを引いた商人が、気軽に挨拶した。ドレイクはトリティオンでは意外と有名だ。顔見知りも多く、こう言うことも少なくない。
「一時間ほど前に二人連れの女とすれ違ったんだが、二人とも旅慣れてなさそうでさ」
商人は眉根を寄せた。心配なのだろうが、その鼻の下が微妙に緩む。
「良かったらその馬車乗せてやんなよ、きっといい思いできるから」
「……そうかい」
ドレイクは微妙な返事をし、商人に礼を言った。この馬車が同行者の持ち物であることや、女連れであることは言わない。面倒になるだけだ。
「女二人って危ないのかい?」
馬車の中から娘の声。
「お前は特別なんだろうよ」
日が傾くにつれ、すれ違う人間は少なくなる。街道とはいえ、野犬などの猛獣が出ないとは限らないし、途中にいくつもの宿場がある以上は屋根のある場所で寝たいのが人情だ。
宿場に宿を求めないものにはいくつかのパターンがある。急ぎの旅や、金銭的な理由。そして、泊まることができない。
ドレイクらは、二つ目が理由だった。三人とも野営には慣れているし、宿場で目を放したうちに馬泥棒に会うほうがよっぽど面倒だからだ。
そして、ドレイクの視界に居る連中は一つ目と三つ目が理由だろう。
「かなりの別嬪じゃねェか!」「おいおい、傷物にすんなよ!」
下品な笑い声。怯える二人の女。ドレイクは厄介ごとに顔をしかめ、幌から顔を出した娘が感嘆した。白い肌の娘だった。人形のような無色の髪と、抜けるような肌。血の色の瞳。それでいて、娼婦のように素肌を露出していた。
「なるほど、『そういう』危ないか」
娘が馬車から降りる。右手には手斧。二人の女を囲む悪党は片手では数え切れないが、両手はいらない程度の数。
「あの女はどうなる?」
娘の問いに、ドレイクは面倒そうに馬を止めた。脇に差した長剣を引き抜く。
「壊れるまであいつらの慰み者か、奴隷か花街に売られる」
面倒そうな顔とゆっくりした動き。しかし、目は真剣だ。
「お祭って、怖いもんだね」
娘は肩をすくめると、猪突した。
きっかけは夕飯だった。
「ねえソヴィアー」
白赤緑の三色少女、アリアは食事の際も相変わらず三色だ。大好きな和み系マスコットの帽子はさすがにつけていないが、白いブラウス、新緑の髪、額の赤い飾り石。完全な三色だった。
対するモノクロの少年、ソヴィアは無言でしょうゆを渡した。白髪に黒ずくめの少年は、しょうゆをこぼしても汚れが目立つ心配は要らなさそうだ。だが、その分粗忽なアリアの心配をする。
「つけすぎるなよ」
「ありがとー! ・・・じゃなくて。ちがうよー」
アリアはしょうゆを受け取り、おひたしに一滴垂らした。そして不器用ながらに慣れた箸遣いで口にする。
「ガーって、ごはんたべるの?」
ソヴィアは、眉をしかめた。斜め後ろあたりを見上げる。そこには何も無い。存在しない。
二人は、ある闇の組織の走狗である。一般的な常識の外側を歩く、黄昏時の怪物だ。
たとえば、アリアの緑の髪は地毛だし、額飾りはフェイクだ。アリアの額を飾る赤い石は、実はその肉を割って覗いている。
そしてソヴィアは、怪物を負っている。
全身の体毛が色を失うほどの恐怖を伴う怪物。悪魔殺しの魔竜の魂が、ソヴィアの魂と同化していた。
その魔竜。水竜ガーグラーは、物体と霊体の狭間にある『触れられるが傷つかない』モノである。そいつは絶対に壊れない。故に何もかも破壊できる。
「幽霊は食事しないだろう」
「でも、ガーは半分物体でしょ?」
ガーグラー。通称ガー。ソヴィアと感覚を共有する古代竜。食べさせようと思えば食べるかもしれない。
しかし、食事が必要ならば、ずっと必要だったはずだ。
ソヴィアの首の横から、巨大な頭が現れた。教会の屋根によく見かけるそれは、ガーゴイルのそれである。
「あーん」
餌付けをするアリア。ガーは匂いを嗅ぐ様に鼻を近づけ、口を開けた。
「こらッ」
と、ソヴィアがガーを引っ張り、アリアの腕ごと食いちぎりそうな巨大な顎が凶悪な音を立てて閉じた。
「だめ?」
上目遣いで小首をかしげるアリア。ソヴィアは「ダメだ」と念を押すとガーを引っ込めた。
「ガーは物体と霊体のどっちでもないものだからな、違うものを与えて腹でも下されたら困る」
「あー・・・そうだね」
納得したアリア。ソヴィアはこっそり嘆息した。
ガーは体長三メートルほどの巨体だ。もし本当に食べて、味を占めて、毎食食べるようになったら?
未然に防いだ食費の浪費を想像し、ソヴィアは身震いした。
三色の少女が、努めて明るく催促した。
「駄目だ」
モノクロの少年はにべも無く無碍にした。
「う~」
不満そうに指をくわえる少女。白い服と赤い飾りと新緑色の髪。目も眩まんばかりのトリコロール。名をアリア。幼さを残した成長期の少女だが、中身のほうは成長の兆しも見えない。
対する黒人の少年は、いかなる過去があるのか体毛が白かった。名をソヴィア。白髪白眉と黒曜石のような黒い肌が言葉では言い表せない神秘性を持っている。
ソヴィアはアリアの年下の兄貴分で、常識の足りないところのある少女の補佐をしていた。例えば、この日本で派手な外見の外国人二人がどういう目で見られるかについてとか。
「それに、仕事が入った」
二人は、この平和なはずの日本で特殊な立場にあった。
常識の外側に住んでいた。
「あそこの祭は神を鎮めるためのものだ。失敗したら神が暴れる」
「神様暴れたら怖いよー」
「祭を邪魔する奴から祭司を守る依頼だ。遊んでいる暇は無い」
アリアは不承不承頷いた。二人はこうやって生きてきた。神社の関係者とも知らない仲ではない。ただ、少し寂しかった。
アリアもソヴィアも、日本という国に住むようになってまだ一年足らずだ。ある組織に拾われ、仕事はあるが概ね幸せな生活をしてきた。
だが、危険な仕事でもあるのだ。幸せがいつなくなるか分からないのだ。
そしてアリアは、この年下の兄貴分が大好きで、ずっと一緒に居たかった。
「ゆかた、着てみたかったな」
灼熱の太陽の下。準備中の出店を抜け、連れだって神社境内へ。不満を垂れるアリアを、ソヴィアは黙殺した。
神社境内では顔見知りの老巫女が待ち構えており、少し意地悪に微笑んだ。
「あなた方、目立ちすぎですね」
昼の熱気は収まったが、夜店を回る人々が違う熱気を放っている。神輿と山車が並び、太鼓と笛がかき鳴らされる。女装の男と厚化粧の女が踊り、口笛や合い手が飛び交う。
「わるいひと、こなかったね」
黒髪の少女が、化粧をした少年に声をかけた。金魚のゆかたにうちわ。もう片方の手にはりんご飴。
「まあ、来ないに越したことは無いさ、こんな夜を・・・」
少年は言葉を濁した。柄にも無いことを言いそうだった。
「嬉しいし楽しいけど、ちょっとざんねん」
少女は気付かなかったか、それとも聞かない振りか。少年を見上げて微笑んだ。
「やっぱり、いつもの顔がいいな」
少年は少女の髪を乱暴に撫で、少女はかつらがずれて少し慌てた。